LDN通信6月号

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眼暗きがゆえに光を見ず、光なきがゆえに道に迷い、
常に疲れを背負ってあてどもなく歩く。
心も体も疲れて、希望もなく、生きる喜びもなく、虚しく時を過ごす。
己の濁った心の鏡は真実を映さず、常に曖昧にしてもどかしく幻想を生み出す。
幻想とくみして戦いを挑むことの悲しさよ、
敵をあちこちに作り、越えられない壁を心の周りに作る。
唯己の心のなせる業、知恵なく無明深く己のことを知らず、
己を顧みず、己の心を深く掘らず、
己の性の赴くところを生存の意味として生きる。
魚の性は水、鳥の性は空、因縁の赴くところ、
己の心も体も人生も因縁より生ずる。
己の因縁を深く顧みよ。
己の不幸は己の汚れた心にある。心を清めよ。
因果の道理を悟って心を清めよ、仏の慈悲を感じて心を清めよ、
良きものも悪しきものも唯己の心より生まれる。
心に不浄なきを最上とする。
人は幾度とない輪廻の中で深き宿業を宿して、それに支配され惑わされて絶望する。
この輪廻の苦を離れることが涅槃である。
仏陀は衆生の苦を感じて法を説かれた。
仏のダルマとはそのことである。
苦の只中にある己に救いはあるか、絶望だけが押し寄せる人生、
深い葛藤の只中の生。
手を合わせて仏の顔を見よ。そこに道はある。
仏の慈悲の眼に貴方は映っている。