フェルメールと簿記3
皆様いかがお過ごしでしょうか。
一度書いた文章を 私は 二度も消してしまっています。誤解を恐れて手直しし、書き加えたのですが、 話題が様々なので 別の文章を 書くことにいたしました。
ですからこの文章は以前のままにいたしました。
蝉がないています~生命の祈り(2)
生命の祈り(2)
随分暑くなってきました。いかがおすごしでしょうか。
真言寺の庭では せみが「 今、一夏の 命だ ミンミンミンミンミン・・・」と鳴いています。蝉の声に答えて、また様々なご質問を寄せてこられた方のためにも、もう少し書くことにいたしました。
生命の祈りについて
少し前のことになりますが、2007年12月東京行飛行機の中の機内誌に「400年前の手紙」という文章が載っていました。オスマントルコの建築家の話でした。
その話は、だいたい次のようなものでした。
京都駅にて
人はみな空間に生きています。空間をそれぞれに創ることは大切なことだと思っています。そこで京都駅で感じたことを書いてみます。
駅はその都市の顔だと思っています。京都駅の建物については、否定的な意見が以前からいろいろ言われてきています。確かにグロテスクで、未完成のようにたくさんの鉄骨が人目にさらされていて、ガラスが多用されており、その上中央には危険な階段と危なっかしいエスカレータまであります。しかも延々と 10階分の高さがあるのです。「もし一人のひとが上でつまずいたら」と考えればかなり恐い設計だと思います。しかも広い空間ではいかにも現代だといわんばかりにアルミパネルはぎらぎらと主張しているではありませんか。古都京都のイメージとは異質なものであるという議論ももっともでしょう。しかし私はこの駅のこのエスカレータが好きなのです。
ひろしま美術館に寄せて
春の匂いが、もうそこまで来ていますね。真言寺の庭の梅の花もすでにほころんで、「こんにちは」と言っているようです。
先日所用で京都駅に降りた時、たまたま美術館「えき」KYOTOの展示を目にしました。それは「ひろしま美術館」所蔵の作品展でした。
広島には何度か足を運び、供養をさせて頂いたことがあります。母の姉も被爆して、一度は命を取り留めておりますが、実家に帰ってから亡くなっております。原爆の悲惨さ悲しさをつぶさに感じます。そこで平和の願いと文化振興をめざした広島の人たちはどんな作品を集めたのだろうかと、ちょっと気になったので立ち寄ることにしたのです。広島美術館は『愛とやすらぎのために』をテーマにフランス印象派を中心に、ロマン派からエコール・ド・パリまでの絵画や彫刻、ヨーロッパ近代美術と明治以降の日本の油彩画が集められていました。