仏教というよりも全ての世界宗教が、女性差別をもっています。フランス革命の人権宣言が一筋の光明を与えても、未だ現在もあまり宗教の状況は変わっていないのが現状だと思います。

思考を停止して宗教に触れるか、あるいは差別の権化のような態度をとるか、あるい は全く宗教から離れるかです。ここを解決しない限り聖なるものは滅びてしまいます。祈りは万人に平等に開かれています。自ら考え実行し道を創らなければな りません。母親が嫌えば子供も嫌います。自分が差別されている所へは行きたく無いでしょう。男性だけが祈りを独占すれば、男性同士が祈りの場所の上下をえ るために戦いの場所を作り出すしかありません。政治的な権力闘争と重なりあってしまいます。自分の心の中にこそ、その場所があることが解からなくなりま す。まず必要なのは、家庭でも社会でも、平等に女性に安定した祈りの場所を与えることです。ただし女性には独特の心遣いがあります。その独特なこころ遣い を十分理解して社会にも家庭にも女性の感性が十分許容されていなければ、聖なるものと全く正反対の道を考え創り出し、あくまでそれを正義と考えて、子供た ちに教え、男性よりももっと激しく欲望のために、自分に反対する他の人々を滅ぼすためだけに行動し戦いはじめます。その特徴があるが故に社会的な立場を与 えれば危険だと大勢の男性たちが考え感じたに違いありません。そのため社会的な祈りの場所から女性はしめだされ続け、閉じ込められ、救われるべき人であり 続けなければなりませんでした。それは今も変わっていません。しかしもう時代が叫んでいます。これ以上戦いの歴史が繰り返されてはいけません。女性の元に 真実と祈りと平和があるように、まず女性が自分の特徴をよく知ることが必要です。自分の行いで自分の周囲を変えていく努力をする必要があります。それが幸 福と平和への道筋となります。なぜなら聖なるものと触れ合うことが女性の本来の姿なのですから。子供を生む力を持っているということと、聖なるものに触れ るということは、苦しみとしてだけではなくより一層の喜びとして無限を認識するように変わるのです。