大人の感覚では「そんなに強いストレスを感じる出来事ではないだろう」と思う出来事で社会的な不適応に陥ってしまう若者が増えているということは,やはり若者のストレス耐性が全体的に低下傾向にあると考えるべきなのでしょう。

  話は変わりますが,以前,けっこう山に囲まれた地域の学校に勤務したことがあります。標高がそれなりに高いので,雪が積って通学のためのバスが動かなくなることが年に数回あります。

ところが,生徒たちはバスが動かなければ歩いて登校してくるのです。家が遠い場合には数時間かけて登校してくる生徒もいました。私は最初びっくりして歩いて きた生徒に「すごいね,大変だったんじゃない?」と声掛けをしたのですが,生徒の方はきょとんとしています。どうも生徒の側からすると,別に「大したこ と」ではないようでした。実は,交通の便があまり良くないため,小学校時代から長時間かけて歩いて学校に通っているという生徒も珍しくなかったのです。 つまり,生徒たちからすると,そういう出来事はごく「当り前」の出来事だったのです。

  平地で育ち,学校への登校も長く歩いても30分 以内,それ以上かかるときはバス通学,という生活を送ってきた私からすると,「数時間もかけて雪の中を歩く」というのはとてつもなく ストレスフルな出来事 と感じられますし,実際歩いたら,それだけで疲れてしまい授業を受けるどころではなかっただろうと思います。しかし,それが日常である生徒たちにとって は,その出来事は大してストレスを感じる出来事ではなかったというわけです。

  さて,翻って人生とはどんなものでしょうか。それは 常にストレスの中にある と言えないでしょうか。体は常に気温の変化などの刺激にさらされて,それに対応 しています。体の調子もよかったり悪かったりです。人と接すれば,自分の思いどおりには行かないこと,妥協せざるを得ないことが常です。気が合わない人と も付き合わなくてはいけませんし,逆に一緒にいたいと思う人がいても別れは必ず来るものです。欲しいものがあっても必ず手に入るとは限りません。病気をす ることもあります。最後には死という最大のストレスにさらされることから逃れることはできません。

  「人生はストレスによって構成されている」 といっても過言ではないと思うのです。人生をそうとらえたとき,どうすればそのストレスに対処できるのでしょう か。最も重要なことは,人生はストレスによって構成されているということを 「当たり前」 だと認識するということではないでしょうか。もし 「人生は楽しいこ とであふれている」 とか 「ストレスになる出来事は悪いものだ」 というように人生を認識すると 「苦しくてしかたのない人生」 になってしまうでしょう。しか し,「人生はストレスによって構成されている」ということを「当り前」のことと認識すればそれだけで苦しさは半分以下になるはずです。先に書いた生徒たち が雪道を数時間かけて歩くことを大したストレスと感じていなかった,ということとまったく同じです。むしろ彼らは雪道を歩く 「楽しみ」 をいろんなところで 見つけていたのではないでしょうか。

  現在の大人世代から見て若者世代にストレス耐性の低い人が多いと感じられるとういことは,大人世代の多くが「まあこんなこともあるよね」と受け止めるよう な出来事でも,若者世代の多くが「こんなはずではない」「こんなことが起こっていいはずはない」と受け止めているということでしょう。

          〈つづく〉

2012.2.07(豊永)