自我が自立しているということは,良好な相互依存関係が維持できているということです。そしてそのために必要なのは,高度なコミュニケーション能力です。コミュニケーションが良好でなければ相互依存関係はいずれ破綻することになります。

 高度なコミュニケーションのために必要なことは,まず相手をよく理解できることです。次に自分をよく理解できることです。最後にお互いの欲求や感情を調整ができることです。

 人権教育の理念を表す言葉として「みんな違ってみんないい」という意味の言葉がよく使われます。お互いの違いを認め合い,お互いを尊重しようという意味だと思います。とても良い言葉だと思います。しかし,良好な相互依存関係を持続させるためにはこれだけでは足りないでしょう。様々な価値観,感情の複数の個人が一緒に生活していれば,当然そこに対立や葛藤の場面が生じます。そこで必要なのは,お互いの違いを認めた上で欲求や感情を調整することです。

 このことは,今まで教育の現場でもあまり重要視されてこなかったように思います。「協調性が大事」という意味の言葉はよく使われます。しかし,「協調性」という言葉は,日本においては「自分の欲求や感情を抑えて他に合わせる」という文脈で使われることが多いように思います。

 例えば,ある大学の「団体行動」というパフォーマンスが話題を集めたことがあります。テレビで見ましたが,実に見事なものでした。完成にいたるまでの学生の努力も感動的なものでした。しかし,あの「団体行動」という動きが「高い協調性である」という文脈で語られることがありますが,それはちょっと違うのではないかと思います。もちろん,お互いの動きを感じながらお互いをサポートしあい自分の行動を決めていくという点では協調性が必要です。しかし,基本的にそれぞれの動きは決まっており,重要なことはいかにその動きを忠実に再現できるかということがポイントになるのだろうと思います。そこに「お互いの欲求や感情を調整する」という要素はあまりないとも言えます。

 誤解のないように付け加えておきますが,私は決して団体行動というパフォーマンスの価値そのものを否定する気はありません。先述したように,その見事さは観客に感動を与えるものですし,そのために努力してきた学生たちも学ぶものは多大なものがあったと思っています。ただ,あのパフォーマンスが協調性の象徴のようにとらえられるのには違和感があると主張しておきたいだけです。

 もちろん自分の欲求や感情を抑えるという場面も時には必要だとは思います。しかし,そういう関係性だけでお互いの対立を調整していると,抑えた欲求や感情が不満となって蓄積し,しだいにお互いの関係悪化を招くことになります。日本の組織においては,強い価値観の統制を図ることで組織活動を維持し,その葛藤を「飲みニケーション」などの「ツール」を使って時々解消する,という方法がとられてきたように思います。それも方法の一つではあるとは思いますが,あまり健全な方法ともいえないように思います。日常的な場面で関係調整を上手に行うことができれば,お酒の力など借りずにも強い組織力を発揮できるものと思いますがいかがでしょうか?

 さらに言えば真に「民主的」ということは,お互いの欲求や感情の調整が高度に円滑に行えるということだとも言えます。

 子どもが青年期に自立という課題を達成するためには,それまでに十分なコミュニケーション能力の育成が不可欠ということです。子どもの教育に携わる大人はこのことをよく意識しながら子どもに関わっていく必要があると思います。

2014年2月7日 豊永