不登校支援ネット通信 パブリックとプライベート

 最近ではあまり話題にもならなくなりましたが,教育現場では「子どもたちが,パブリック(公的)な場面とプライベート(私的)な場面の区別がつきにくくなった」ということがここ20年くらい前から問題視されるようになりました。 授業をしていても,まるで「居間でくつろいでいる」かのようなふるまいで過ごす生徒が増えてきたからです。しかも「ちゃんとしなさい」という指示の仕方では行動に変化が現れず,「私語はだめです」「授業に関係ないものは机の上には出しません」などと,事細かに一つ一つ説明しないといけません。どうも「授業中にちゃんとするというのは,どういう振る舞いを指しているのか」という言葉の意味が理解できないようなのです。つまり,「パブリックな場面での振る舞い方のイメージ形成」に失敗していることを意味します。
 学校外でも,電車内や外で直接地べたに座る「ジベタリアン」や,電車内で(ばっちり)化粧をする行為など,若者の行動に疑問が投げかけられています。「他人には迷惑をかけていない」という主張もあるとは思いますが,従来の日本文化の枠組みからして,その行為を不快に感じる人が多数なのも事実です。悪ふざけで店の冷凍器の中に入った写真を投稿し,店を閉鎖に追い込んでしまった行動も社会問題になりました。当人はただの悪ふざけだったのでしょうが,結果的に犯罪行為になってしまっています。こういう行動も「パブリックな場面とプライベートな場面の区別がつきにくくなっている」現象の一つだと思われます。
 「場面によって振る舞いを変える」ということ自体を「二面性がある」ととらえる人もいます。もちろん自分の利益を守るために極端に振る舞いを変えることは問題があります。しかし,人はパブリックな場面ではお互いの欲求を適度に抑え,その場にあった振る舞いをすることで社会という組織を維持してきました。このことが,人間社会という,他の動物には見られない巨大な「群れ」を維持し,ヒトという種の繁栄を支えてきたとも言えます。そういう意味で,パブリックな場面とプライベートな場面で振る舞いをちゃんと区別できるという感覚は非常に重要なものだと思います。この感覚があいまいになるということは,本人の社会適応に問題を生じるということですし,社会全体としては機能低下をまねくことになると思います。
では,子どもたちに「パブリックとプライベートの区別」という感覚を自然に発達させるためには何をすればよいのでしょうか?その一つのカギとなるのが,家の中の「客間」という部屋の存在です。このことについては次回書きたいと思います。
                                                                      2014.11.22 豊永