不幸にして己の知性と感覚に狂いが生じている場合は、自ら改める他術がない。人は己の知性と感覚を点検して日々過さなくてはならない。より深い理解と洞察が困難を解決へと導き、深い感性が世間に対しての共感を生む。
人は自らの行いにおいて自らを築くのであり、他の何者もそれを成しえない。人は己の存在において、いかなる権力も権威もそれを犯すことはできない。この自然なる権利はいかなる者にも付与された権利であり、いかなる思想信条や経済的利害においても犯さざれる権利である。
人は互いの権利を尊重しつつ、共同の福祉を追求すべき存在である。ここに道徳規範と法規範を備えた社会機構を有する現代社会がある。
世界の主な宗教の有する道徳規範は同根同類である。それが社会的利害の枠組みでいかに変わろうがそれは不変の価値であり意味である。
慣習法にしろ成文法にしろそれは互いの人権を守ることを目的として成立することが最大の目的であらねばならない。
個々人の人権を擁護することがひいては人類の福祉に連なるものだからである。そこで人は真の自由なる人格として責任ある行動が求められる。権利の行使には当然として重い義務が求められる。
そこに踏みとどまって己の行為を律することこそ開かれた人格であり、それを実現する社会こそ我々にとって必要な世界なのである。
人は利害の対立において他の生存の権利をいとも簡単に犯しやすい、他の人々が血を流す姿のその時は己がその痛みを感じなければならない。己の喜びは他に分け与えてともに喜ぶ。そこに人間としての霊性がある。