ひとりひとりの子どもたちを守れる学校にするために その3

 では,なぜ以前の日本の学校では,40人学級という学級規模でありながら,それほど大きな困難もなく運営され,学習成績においても世界の教育界から注目されるほどの実績をあげることができてきたのでしょうか。

 一つには日本社会において価値観が単一な傾向にあったことがあると思います。歌謡曲にしても,ある特定の歌手が国民的な人気を博し,大みそかの年越しの番組は90%以上の視聴率を誇っていた,という事実が端的にそのことを表していると思います。そういう集団においては,教師が提示する価値観に対して子どもたちはほとんど疑問を持つことなく受け入れることができます。教師にも迷う必要はありません。すでにお互いに共有されている価値観に従って集団が維持できます。

 また,日本社会において共有されていた価値観の中に,「教師の強い権威」がありました。「三歩下がって師の影を踏まず」という言葉があります。戦前はそれが日本社会全体で共有されていた価値観だったのだと思います。戦後社会の体制は大きく変化しましたが,民衆に浸透した価値観がそれほど急激に変化できるものではありません。したがって,戦後もしばらくはその価値観が教育現場においても支配的だったと思います。生徒たちは先生を無条件に信頼し,先生たちもその信頼に応えようとする,という形で生徒と教師の関係が築かれていたものと思います。

 これらの価値観が社会で共有されている時代には一クラス40人であっても,クラスをまとめ,運営していくことはそれほど困難ではなかったかもしれません。ところが,これらの価値観は戦後の「個性を重視する」「民主的な」教育の理念により次第に崩壊してきました。つまり,40人学級という学校の運営単位を支えていた基礎条件が壊れてしまったということです。
もちろん,私は,個性を重視し民主的に学校を運営することを否定するものではありません。それは,教育理念として正しい方向であると思っています。ただ,ここで主張しておきたいことは,教育における理念を変更したのであれば,それにあわせて学級規模も変更するべきだったのではないか,ということです。

 学級規模の縮小を実現するためには,当然それだけの経済的負担が必要になります。それがこの問題を直視することを妨げている大きな要因の一つでしょう。ただ,多くの経済先進国においては日本よりも小さい学級規模を実現しているところがほとんどです。また,学習指導において学校ではどうしても十分フォローできない面が出てくるため,学習塾への教育投資がどうしても必要になってきています。結局のところ,親が負担する子どもへの教育投資は膨大なものになっているのではないでしょうか。さらに,多くの教育投資ができる経済的に余裕のある層の子どもでなければ高い学歴を得ることが難しいという,社会のヒエラルキー固定化という問題も生んでいます。

 そう考えれば,個人が塾に投資している費用を税金として公教育に回し,より質の高い学校教育を施す,という発想も可能なのではないでしょうか。現に,学力テストで世界トップになった北欧の国では,少人数教育で実績を上げていますし,基本的に学習塾自体が存在しないようです。

 さまざまな教育課題が表面化し,学校が子どもの命さえ保障できない危険な場所となりつつある今,この問題についても真剣な議論が起こることを望みたいと思います。

(2012.9.10 豊永)