真言尼寺の窓から

LDN通信7月号

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己の行いの善悪の果報を悟らず。己の欲望の赴くままに振る舞い語ることまさに禽獣のごとくして、慚愧の念なく言葉だけが虚しく踊る。
人の仏たる霊性を悟らず、赤き肉の塊をのみ愛して、心に至らず。
犬猫のごとく野猿のごとく餌を求めて彷徨い泣き叫ぶ。
口を潤すにきゅうきゅうとして眼には真理の光が射さず。
慾楽のみが眼に映じ無明の闇深く道の何物も見えず。
この心の貧しき事、極貧の中の極貧、与える事を喜ばず、
ただ集め取ることを己の性とする。
騙し、かすめ取るを喜びとして、他の人々の嘆きをあざ笑い、そこに胡坐する。
その性の悲しき事、観世音は涙する。
広大無辺の慈悲の大海に住む観音は清き涙を流す。
衆生の求めるところの五慾の安楽は多くの失望と悲しみを生み出す。
与えず欲しがり、怒りながら許しを請う、悪業を行い善果を欲する。
暗智の中の暗智、愚かが中にも愚か、己の体を濯ぐに濁水をもってするがごとし。
悪臭は己を卑しめ、他人を損ない、世を不浄にして鼻を摘まんで息を殺す。
ここに大覚世尊慈悲を極め、方便を駆使して、法輪を回し給える。
正伝の仏法はここにある。
しばし聞け、しばし口をつぐめ、しばし足を止めよ、しばし心を静めよ。
そして世尊の声を聴け、己の行いの因果と果報と、聖なる行いの道と、真実の安楽たる涅槃の何たるかを聞け。
今聞け、発心せよ、そのままで、何の疑いを挟まず、聞けよ、聖なる声をその言葉があなたを自由にする。

LDN通信6月号

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眼暗きがゆえに光を見ず、光なきがゆえに道に迷い、
常に疲れを背負ってあてどもなく歩く。
心も体も疲れて、希望もなく、生きる喜びもなく、虚しく時を過ごす。
己の濁った心の鏡は真実を映さず、常に曖昧にしてもどかしく幻想を生み出す。
幻想とくみして戦いを挑むことの悲しさよ、
敵をあちこちに作り、越えられない壁を心の周りに作る。
唯己の心のなせる業、知恵なく無明深く己のことを知らず、
己を顧みず、己の心を深く掘らず、
己の性の赴くところを生存の意味として生きる。
魚の性は水、鳥の性は空、因縁の赴くところ、
己の心も体も人生も因縁より生ずる。
己の因縁を深く顧みよ。
己の不幸は己の汚れた心にある。心を清めよ。
因果の道理を悟って心を清めよ、仏の慈悲を感じて心を清めよ、
良きものも悪しきものも唯己の心より生まれる。
心に不浄なきを最上とする。
人は幾度とない輪廻の中で深き宿業を宿して、それに支配され惑わされて絶望する。
この輪廻の苦を離れることが涅槃である。
仏陀は衆生の苦を感じて法を説かれた。
仏のダルマとはそのことである。
苦の只中にある己に救いはあるか、絶望だけが押し寄せる人生、
深い葛藤の只中の生。
手を合わせて仏の顔を見よ。そこに道はある。
仏の慈悲の眼に貴方は映っている。

LDN通信5月号

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真実は実に麗しく、誠実は実に爽やかで、真心は常に温かい。
人の望むものは誰一人違わぬ物事である。
あらゆる生命は太陽の光と熱の恩恵を受けて命をつなぐ、
人は心の奥で己の命が紡ぎだされた仏の命を知っている。
大宇宙の只中で独り端座してこのことを確認せよ。
己は仏の命。
この心しか寄る辺はなく、この心しか仏はない、
自心本尊こそが真実。
己の心を極めよ、他を望んではならない。
他は光の影のようなもの変化して止まらない。
僅か百年にも満たない人の寿命、居眠りしている間に太陽は傾き、
夜の帳を迎える、死がやってくる。
焼けこげるような己の欲望にさいなまれるな、
己の燃える煩悩は己の心と身を焼き生活を滅ぼし、
仕舞には地獄へと落ちる。
重き肉の塊と荒れ荒ぶ己の心の只中で、仏陀に合掌して礼拝せよ。
重き鎖が切れるその日が来る。
信心こそが己を救う。
愚盲なる己であればこそ礼拝供養せよ。
仏の慈悲は己の発心を捨て置かない。
仏は声を挙げて求める人を救いとる。
心を起こせよ、仏に向え、
この世のあらゆる価値は仏の知恵を超えるものではない。

LDN通信4月号

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  身を整えて、息を整えて、心を制する。
身を整えるには悪を断ち善を進めることが必要である。
生活の規範が求められる。持戒精進である。
求めるところの解脱は認知の正確なる事を基礎とする。
己の心は己をだましやすく、それは様々な幻想を作り出す。
己の認知する事柄は何度も確認され納得されるべきである。
経論の内容は禅定に於いて確認される必要がある。
先入観を排して己に向き合う、断固として夢想を排する。
魔境を離れる。
解脱の真智に出会うまで、その覚悟で座に住する。
己の知るところ唯己の知るところ社会の騒音に依らず、
名声も財の香りもなく、唯真実にあること、諸仏は讃嘆し、
天神は従うと言えども、驕りは生起せず。
阿耨多羅三藐三菩提を証してあること、これこそが禅定の果報である。
くれぐれも己に惑うてはならない。
己は己をだましやすい、
特に禅定に於いて起きる心の変化は人に天狗の心を起し龍の心を起す、
または鬼心を起す。
絶えず仏を念ぜよ、己が正しい道を歩めるように。
帰依仏、帰依法、帰依僧、三宝を礼して道に入る。
己の禅定は仏陀の正法、我はかの草座にありて真理となる

LDN通信3月号

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この身の不壊ならずして、絶えず死に向かう様は、人に苦悩を与える。
己の五感の欲する処を善とするも、苦悩を得る。
心は止まる事を知らず、ただ野猿の如く暴れ馬の如くことに会っては納まるところを知らず。
凡そ存在すると認識されるものは総て掴めどもつかめず、
捨て去ろうにも捨て去れず、縁に会っては生起するのみ、総ては苦悩である。
知恵あり、正念あるとき苦悩は消え去る。
さまよえる己の念を己に引き戻せよ、誤った観念や認識から離れよ。
衆生は無明の闇の中でさまよい歩く、声を上げて叫ぶ、
帰るのは木霊でしかなく、虚しく時を過ごす。
仏の声を聴かずば、いずれの時にか道を得るや。
諸法従縁生
如来説是因
是法従縁滅
是大沙門説
縁起を観じて苦悩を去る。
阿羅漢のなしたる技、仏の説くところ。
絶えず縁起を感じて心を静めよ。
諸行無常
諸法無我
総ては縁起する。己の邪見を捨ててみよ。

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