ドイツについて
ドイツへの阿字観布教の思い出
二十年ほど前 私は阿字観の研究で高野山布教研究所の教化研究員をしていました。任期は 三年あり 一年目は 基礎研究をしました。
二年目に ドイツ布教に 踏み切りました。
三年目は ドイツ布教で私の弟子になりたいと申し出られたケルン大学の教授が日本密教をとりあげたゼミナールを授業として開催されたので そのことで手いっぱいになってしまいました。私の指導教官であられた畠田禅峰大僧正から 自分に親しいかたが ドイツ哲学の教授なので 連絡を取って頑張るようにと ご助言を頂いたのですが、別のドイツの教授の関係で話が進み とうとうご連絡しないまま 任期は終了いたしました。
ケルン大学のゼミナールは 日本密教の表面的な紹介のみで終了しました。それでも ドイツでは 知られていなかった日本密教が少し知られることになったのだろうと思います。
そのころドイツでは まだ ベルリンの壁が 東西を 分断しており、悲惨な 状況の報道が 日本でもなされていました。
西ドイツ各地で またベルリンの帝国議会前で 護摩供養を提案し 実行しました。
このとき 日本山妙法寺の僧侶が ドイツ警察に検挙された報道が あったので 関係の皆さん方は 大変心配されておられました。
西ベルリンでは 私の趣旨を理解してくださった ベルリン自由大学の教授の方もご同行くださり、もしもの場合は 自分が説明するので安心して 護摩供養をするよう手配して頂きました。
大学の先輩を はじめ善意を寄せられた皆様に感謝しております。
ドイツを選んだのは、同じ敗戦国として これからの世界平和のために、努力する責任があると考えましたし、また日本は明治以来 ドイツに 法律、政治、哲学など多くを学んだ歴史があります。
自分自身もドイツには深い縁を 感じていましたし、加えて大学の先輩が 文化交流で 駐在員を されておられたので、この機会に 是非 阿字観を ドイツに 持って行こうと 考えたのです。
なぜ 阿字観 なのかは 次の理由によります。
私は、大日経の 世界観と人間分析は つぎの時代の 方向性を 決めると考えたのでした。
人間は 言語と 象徴の世界に 生きていると 私は 考えています。
母のおなかに 宿った子供は すでに その 早い時期から 言語に反応しています。
人間の器官が その形を調える過程で すでに 言語に反応しているのを経験的に知ることができます。
しかも 母親の感情とその言語の反応とに子供は密接につながり おなかの中で成長します。精子と卵子の二つの細胞のイメージはその子の器官の記憶にのこり、父なるものと母なるものの言語イメージとつながっていると 私は感じています。
母の胎内で言語機能と器官との反応が構成され、感情と肉体の隅々まで言語の響きによって反応し、母の身体と繋がり、母の感情と繋がり、宇宙とつながっていくと 私は考えています。
精子と卵子のイメージは意識の象徴の中で父なるものと母なるもののイメージとして言語認識され記憶されていると考えます。そして胎内は母なるものの感覚とつながっていると、感じています。
この父と母のイメージは 生まれ出て 現実認識がすすむ中で、現実の父母として投影され、 行動の原動力となり、リビドーとして無意識のなかに沈潜すると 私は考えています。
人間は 祈りを人に伝えるときも、唯一人無言の中でさえも、必ずこの無意識を経由して この世界に生きています。
聖者も仏陀も この世の社会的な言語を 使う限りこの制約は 逃れることはできないと考えています。
このとき 父と母のイメージは この社会における 行動の基準となって 人を突き動かしていきます。
そのとき父なるものは 社会的な規範 法であると認識され、母なるものは、より内なるものと自己認識されます。
このことから キリスト自身が、 神の子であると認知されれば、現実の父を 知らないことになります。
イスラム教のマホメットも 現実の父の顔をしりません。
このとき二人の聖者の 創る社会の言語と行動は、 自身の父を自身で創造する必要に 迫られるはずです。
つまり 必然的に 二つの新しい法の支配する社会を構築する必要に迫られます。
この結果キリスト教社会と イスラム教社会は お互いどちらも正義であると主張して譲ることはできません。
譲ることは、キリスト教とイスラム教の否定を含むからです。
つまり 「戦い」を 意味して いるのです。
ですから、世界の平和のためには 外側から新しい言語概念の導入が必要です。
ユダヤ・キリスト・イスラムの三宗教を合わせてセム族の宗教と呼び、唯一絶対の神を基本としていることは 勿論知っています。
また、聖なるものを 細胞に 置き換え話しているのでは ありません。
言語の 問題点を お話して いるのです。
仏教用語で 言えば、俗諦と真諦(中論)があり、言葉は 存在(実存)のはじ
めにあると言いたいのです。
この狭間を現在は 「人権」の概念が つないで行こうとしています。しかしこれは宗教側からの提案ではありませんし、間違って「聖なるもの」を否定してしまうこともあります。
仏教の祖師釈尊は 実の母の顔を知りません。母のマーヤ夫人は釈尊を産んですぐ亡くなります。
釈尊は強い苦しみとともに、自身で「内なる母なるもの」を探す必要があったのです。
ですから おのずと 仏教は違う方向性と 瞑想方法を持っています。
「人権」の概念同様に仏教は宗教の内側において、キリスト教とイスラム教、二つの宗教を補完することが 出来るのです。
同時に仏教の性格上どの社会を壊すことも無いのです。
しかも 大日如来を中心とする日本密教の哲学は 新しい世界のために その方法論を 提示する可能性を秘めているのです。
ですから世界平和のために 日本で古くから伝わるもの、世界にとっては、新しい瞑想方法としての 「阿字観」という言語の瞑想法を ヨーロッパに伝えようと考えたのでした。
特に大日経の世界観は 「善男善女人」の平等な成仏を説き、新しい世界秩序構築のための 人間理解の可能性を秘めていると考えたのです。
しかし 現実は 四面楚歌でありました。
三年の任期を終わり九州熊本で活動しながら二十年にわたり、住職が人間学として展開しています。
私は女性のための展開を考え 少しでも提示出来たら世界の人々の 特にすべての女性のための平和の礎になると考え活動しています。
「戦い」は 女性を 傷つけ 次の子供たちすべての 心を傷つけます。
その後ドイツの教授は 三度熊本に 来られています。一度目は 東京大学の客員教授としてしばらく滞在されました。
そのとき 彼がドイツで出版した「ある本」を日本語訳されて 日本で出版するかどうかの助言を私に求められました。それは もう亡くなった「あるドイツの詩人」の物語でした。
彼がホモセクシュアルであることを暴露し、かつ彼の心の悲しみと 叫びを 忠実に描写してありました。私は 日本で出版しないかわりに その詩人の 苦しみと悲しみを 引き受けることを約束しました。
その詩人が なぜ苦しまなければならなかったのか、そして ホモセクシュアルをどう考えるのか。どうすれば 解決するのかを その詩人のために この熊本の地で考え祈りました。
そののち 再び その教授は日本にこられて 元ナチスであった妻の父をどう考えるかを問われましたので、私は 答えを伝えました。
そして作曲家である自分の息子が作曲した「曲」を 私に 捧げますと言われて、楽譜を 置いていかれました。
私は その方に「月輪観」の軸を 差し上げて あります。たぶん 自分の問題だけで 精一杯の彼には「阿字観」の意味は 分からないだろうと 考えたからです。
彼女は貴族の称号を持ち、古いお城と古い礼拝堂を持っています。ですからいつか 気づいて 総ての女性の平和のために 月輪観を その礼拝堂で祈ってくれる日が来ることを 願います。
古いものの中から 新しいものが 生まれます。
息子さんのその曲は いまだ演奏されること無く ここにあります。