アジアの人々のために
秋の風を感じる今日この頃となりました。
秋の風を感じる今日この頃となりました。観音堂前の百日紅の木の赤い花も秋の気配を先取りし、ほとんど散ってしまいました。
皆様いかが お過ごしでしょうか?
去年から 「光忍の一言」を 更新しないまま 月日が流れて、 また 新しい一夏が過ぎてしまいました。
ある方の奥様の寿命が もうあと わずかなのを感じて
「蝉が鳴いています」の 文章を 書きました。その方の奥様は その冬亡くなられました。
その「蝉が鳴いています」の文章に 釈尊の お悟りの 内容について 簡単に説明し、縁起の法ついて 一言ふれましたが、現代日本の仏教学の問題点に 触れる書き方をしていないために 誤解を生む可能性が ありましたので、十二因縁の 言葉を削除しました。
そこでここに新たに、 現代日本の仏教学の問題点を書いてみようと思います。
私が仏教に触れたのは 京都の大学でしたが あくまで概論でした。
実際は 京都の寺院で 仏教美術を鑑賞したり、佐保田鶴治先生のヨーガのアシラムでヨーガを習ったり、インド哲学のお話を聞いたりすることで 実際の日本仏教に触れていたのだと思います。
現実に仏教学の基本を教えて頂いたのは、その後で、筑波大学の大学院の中論の演習でした。
私の仏教学(密教学ではありません)の考え方と専門用語ならびに、言語に対する基本的な態度は三枝充悳先生からお教えいただいたものでした。先生はそのころ仏教教育を改革したいとのお話をされていました。
特に中村元先生との共著で「バウッダ・仏教」を執筆中でいらっしゃいました。
その眼目は 「現在の仏教学の基礎は 明治時代のヨーロッパからのものであるがために、大乗の仏陀・「バウッダ」が抜けている。だから今度の著書で大乗経典の成立のプロセスと、そこに描かれる「バウッダ」を中心に考えなおす方向にもって行きたい。だからわざわざ「バウッダ」なんだ」と話されていました。
つまり明治以前の伝統教学といわれるものから、明治以降の仏教学になったときに見落とされたものを、再度拾い上げたい旨のお話だったと思います。
そこで私は いったい何が見落とされたのかを考え、調べました。
問題を解く鍵は 木村泰賢博士と宇井伯寿博士・和辻哲郎博士との論争の中にありました。
木村泰賢博士はかれこれ半世紀以上も前に、ヨーロッパのアカデミズムを標榜し、日本の学界に挑んでいます。
「原始仏教思想論」その第二編「事実的世界観」の第五章「特に十二縁起論について」に特筆されているのは、次のようなことです。
縁起はおおよそ三種の立場から解釈され、第一は 現実生活における相互依存関係を心理活動の様式に基づいて考察する立場、第二は一生涯を射程にいれ生命発動の進展の経過として説明解釈する立場、第三が分位説といわれる過去、未来、現在にわたる輪廻の姿を明らかにしたものと解する立場があり、第一の立場からは後の般若や華厳の思想が、第二の立場からは唯識思想が、第三の立場からは後の三世両重観が導きだされる旨を主張しておれます。そして第二の生命の解釈は第一と第三から止揚した立場のものであるから、この解釈こそが 原始仏教の思想の根幹をその後の思想へ連結させる有効な方法であると論じています。つまり縁起を「生命発動の始原」として捉えて、「無明」という根本命題を指摘されています。
この生命・心理学的な論に対して宇井・和辻博士の反論は「生命発動の進展」の状態をあきらかにしようとするものではなく、とりわけ和辻博士によれば、縁起説における各支の関係は法と法との論理的関係を明らかにしようとしたものである旨主張されています。
十二支縁起における「生」とは、生まれることではなく「生ずること一般」の義を示し、ドイツ語の「Entstehen」にあたる概念であり、「老死」とは生理的に老いかつ死ぬことではなく、行き過ぎること一般「Vergehen」の義である旨主張されます。
これに対して木村博士は「原始仏教」を貫く「根本気分」に宇井・和辻説は背馳している旨主張されます。和辻博士の論理はカントの範疇論ではないかと論じて、新カント派のワレーザー教授の解釈の延長上にあると断じています。
これに対して和辻博士は、木村博士はショーペンハウエルの思想をあまりにも多く「原始仏教」に注ぎいれていると批判されます。
この論争は昭和5年5月16日の木村博士の突然の死によって終わりをつげます。
そして日本のインド哲学・仏教学研究は宇井・和辻博士の圧倒的優位となり、理性と論理の権威の旗印のもとに、ドイツ哲学の影響の下で再編されていきます。
従来の漢文経典のほかに、パーリ語文献研究が加わり、徹底的な文献研究とともに日本仏教という宗教は緻密な論理構造を持つことを論証し、哲学として再編するこができたのです。
しかし確かに落ちたものがありました。
それは初期仏教から綿綿と伝わる「根本気分」です。
つまるところ、釈尊の教説から何故、大乗のさまざまな仏が出てきたのかを証明する論理が、欠けてしまいました。
現在は外側から民俗学や考古学、社会学、歴史学でそれを補完しています。
日本にはたくさんの仏像があり、偶像崇拝と間違われそうなグロテスクな仏たちは、いたるところで見られます。
千本も手があったら、初めて見る人は驚くでしょう。しかし確かに釈尊の教説の中から生まれたのです。
この仏たちは釈尊の教説のどこから、どうして生まれたのか、何が大乗に継承されているのかの論証がなされていません。
その後中村元先生は、「論理の構造 上・下」の著書を世に問われて、論理の論証をされて中論の論理の展開をしておられます。
しかし三枝先生の意図された「大乗経典成立のプロセス」に光をあたえて、大乗の仏の成立の論理的論証への方向性が、失った「根本気分」を論証する唯一の方法であることは あまり理解されなかったように思われます。
「縁起の法」の現在の論議の動向を鑑みるに、そのように思えて仕方ありません。
釈尊のお悟りの内容は脈々とうけつがれて、密教に至り、縁起の法は象徴化されて金剛界曼荼羅に表現されています。
アジアの多くの人々のために、初期仏教から後期密教までを貫く理論は木村泰賢博士の遣り残した論証であると思います。
三枝先生の中論の見識と詳細な文献学が それを可能にすると考えています。縁起の議論の方向性が 再度「バウッダ」の論証に向かうことを 期待しています。