LDN通信 平成27年5月号

人間の観念は時代を経てさまざまに累積され文化を構成し、又発展してきた。
宗教や芸術のみならす、政治や経済等々にも及ぶ。
人間は観念を生みだして、又それに縛られる。
それゆえ争いを正当化して歴史に爪痕を深く刻む。観念は言語として人々の記憶に残され、遺産となる。
この相対の世界は又差異の世界でもある。
観念は多くの場合この差異の体系の根拠となる。
詰まりは言語の根拠なのである。
存在と言語の不可分性は実に用として巧みである。
観念において考えられたもの事は、数字に置き換えられてビルとなり車となる。
はたまた運動の原理を言語で証明して、宇宙空間に衛星を飛ばす。
行動は言語に翻訳されて記憶にとどまり、又言語はその行動を思い起こさせる。
より良く思考してより良く語る事は、より良き人生を送る元となる。
正語することは己の心を修め、行動を制することとなる。言葉の力の偉大さと観念の力をよく理解して生きる事が人としての教養である。