LDN通信 2016年1月号

新年明けまして おめでとうございます。
生きることは常に葛藤に満ちている。しかしこれを除いて時は過ぎゆかない、多くの涙と困惑の中に人生はある。仏との廻り逢いは人の苦しみと混乱の中で出会う光明である。
夏枯れの木々に雨が降り注ぐように、凍える冬に暖炉の明かりがその手を照らすように、仏の慈悲は心を癒す。
いかに荒れたる世間であろうと自暴自棄になってはならない、仏の慈悲はそこにある。いかに困難な出来事が廻り来ようが眼を塞いではならない。その中から智慧の道を学び取る必要がある。
聖なる事とは事象ではなくそれを理解する人格の内容である。その人格が崇高であれば全ては聖なる事となる。いかに聖なる言葉を駆使してもその人格が俗の欲心に充ちて、行いが自愛に縛られているとしたら、語るまでもない。
人はいつ自由の人になるのか、それは一切平等の智慧を得た時である。人は差別の中で苦しみ、その中で行動して、その檻の中で一生を過ごす。
羨望と嫉妬と渇望の人生を送る。それは世界が苦しみを与えるのではなく、己の人格の未熟さゆえの悲劇である。
良く熟慮して存在の本質を見極めなければならない。己の思いこみを離れねばならない。多くの聖典は智慧の道を示し、聖者はそのように生きて、賢者はそのように語った。
世界の悲劇は唯一人の無謀な行い故に起きる。己を見つめ己を見極め、真実に心を集中せよ。そこから己の解放が始まる。