LDN通信2月号

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道心おのずから道を開く、道心なければ道を得ず食を得ず。
唯野良犬の如く食を求めさ迷い歩く。禽獣の性を常として畜生道に落ちる。
生業を正して悪業を離れ、清浄な食を得て身を安んずる、
正命とはこのことを言う。
菩提心を基として生業に勤しむこれを正命という。
食のため、名誉と財をむさぼり、道心に背くことは己を失うに等しい。
よくよく考えねばならない。
己の心はこのことをよく知る、人の霊性のなせるところ。
唯一の清らかなるものから生まれた我らはよく知るところ。
食を得るために嘘をつき己を欺きますます欲望の闇を深くして、
道を誤り、人を惑わして苦悩ばかりが増す。
知ると知らざるとにかかわらず己の行いが己をつくる。
生きるためとはいえ人を惑わせてはならない。
己を傷つけてはならない。
清らかなる思いを動機として人にも我にも社会にも合法なる行いを常とせよ。
正命して初めてこの世における己れの場所が定まる。
失念せず己に問え、この食は清らかであるか、
苦悩や悲しみを離れているか、欲望の汚れにまみれていないか。
清浄であればそれは清らかな命を育むものとなる、
道心は堅固なものとなる。

LDN通信1月号

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新年あけましておめでとうございます
新しい年の法話第一回です。
律義に明るく、知恵あり、定心を常として、己の三業を修める。
彼は阿羅漢と呼ばれる。人々の尊敬を集めて、徳を施すもの、応供とも呼ばれる。
この世の乱れの中で一筋の光明である。
帰依僧、僧伽に帰依し奉る。
阿羅漢に帰依し奉る。
大阿羅漢とその末裔たる阿羅漢たちに帰依し奉る。
三輪空寂の清浄を踏み行って大功徳を得て道を究めん。
己の心で己を清め、己の言葉で己を清め、己の行いで己を清める。
実に己の業によって己を清める。
正業とはまさにこのことである。
業の因果こそが世界をつくる。
善業ゆえの善果、悪業ゆえの悪果、阿頼耶識の暴流は私の願いを入れず。
菩提心を起せば転識の妙あり。他に道なし。
静かに思いを巡らせて因果を観察せよ、己の業の因果を見つめよ。
改めるは改め、踏み行うことは行え、己の行いが己を救う。
暗き夜道を歩く、燈明の明るさでも足元は照らせる。
知恵の光を灯せ、あてどない人生の暗闇が己をなえさせる前に。
仏陀の道を歩くものに道が開かぬわけはない。
深く決定してその道を歩け、諸仏は見ている。
清らかな信心と行いに勝る宝はない。三世に渡る妙法である

LDN通信 2017年12月号

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真実を語ることは大地に大いなる根を張る種を撒くことである。
良く熟慮された言葉は己の人生の支えであり、人々の光となる。
虚妄なる言葉は虚しく消えゆく、その言葉と共にその人の人生も消えゆく。
言葉を制せよ、言葉に惑うな、
多くを語り真実の実を含まない言葉は人々を傷つけ己もその言葉で亡ぶ。
誠実であれ、己を支配するのは己の言葉である。
考えを支配し、行動を支配する。天地にある言葉の力はその整合性と真実にある。
人々を豊かにするのも言葉の力である。
争いを確定するのも言葉の不調性である。穏やかに言葉の整合性を身につけよ。
貴方の行いも思考も言葉の文脈に置き換えられて人々は理解する。
言葉を深く洞察せよ、その言葉は自然事象の何をもって生起しているのか、
心と体と環境と何の因果によるのか。
己の言葉は己をつくる、己の言葉は人をつくる。
実に鋭利な刃物よりも扱いに注意を要するものである。
正語するとは実にこのことである。
天地は言葉でできている、人も言葉でできている。

LDN通信 2017年11月号

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人生は実に短く、多くのことをなす時間がない。無常にして迅速に時は過ぎゆく。
己の行いの詰まるところ、身の行いと口業と意業とが己である。それ清き人は幸いである。
彼は悟りと涅槃を得る。
人はこの世の争いの中で不安故に策を巡らせてその身の安寧を得ようとする。
しかし、この世の呪いはそれでは解けない。唯、般若と施に於いて自由を得る。
己に律義を得て、禅定を常とせよ。知足して、施し多き人生を送れ。あらゆる物事の本質が姿を現す。
般若こそが人生の課題を解決する唯一の手立て、これを求めよ。
他の何物もこれに代わるものはない。
閑寂な場所に座を設けよ。そこで仏の三昧を成就せよ。三昧のための三昧を成就せよ。
無功徳の三昧を成就せよ。それが世の栄達のためや諸々俗の目的であってはならない。
虚しく滅びゆくことのために事を行うのは余りに哀れである。
心を静め、己の行いを反省せよ。己の行いの因果と報いを観察せよ。
取るべきものと捨て去るものを熟慮せよ。取るべき物事の中に住して心の本質を極めよ。
仏の三昧を己の三昧とせよ。陀羅尼を持して心を仏の三昧に同参せよ。
暗き夜道も手明かりで歩む、もがく人生の苦悩は仏の知恵で解ける。
仏の慈悲を頼りにその道を歩め、幾多の行者の歩んだ道。

LDN通信 2017年10月号

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人の思考は幾重にも巻かれた蚕の糸のように果てしない因果の鎖に縛られている。
人の行動もしかりである。
この鎖から解き放されることは実に至難の技である。
仏陀はその法に於いて解脱を成し遂げる道を説いた。
己の存在の精緻な分析と、その働きと、そこに起きる事象とをよく見極め、
そこから起きる様々な苦を解脱する道を説いた。
苦の生起とその滅、楽の生起と涅槃、無明による輪廻のあり様、知恵による輪廻の終焉。
事実認識を基として行動する。生存は絶えず葛藤の中にあり、存在は実に己の縛を超えている。
それは無常とも無我ともいう。あらゆる蘊は滅の法である。
己の内に生じる様々な欲望も縁起しているのであり、実体がない。
しかし人は実体を持たない己の欲望に己を縛り、輪廻に入る。
あらゆる化生も又実に無明より起こる欲心に縛られて冥界に呪縛されている存在である。
己の空性を悟り囚われを離れ自在が起きる。そこに真実の喜びはある。
己を見つめ己を極め己に道を見る。それこそが仏の道である。己以外に道はない。