LDN通信 2016年4月号

印刷用画面
人はいかにして争いを避けて共存の道を選べるか。それは常に新しく古くからの人類における命題である。
人は群れをなす生き物である。群れの恩恵において命を繋ぐ生き物である。常に他との関わり合いを前提条件とし個々の人は生きている。この関係をよりよくすることは己の人生を実りあるものにするだけでなく社会、国家、人類のより良き姿を実現する手立てと成る。
周りに心を配る事、他を思いやる事、つまりは同調性の感覚がいかに育てられるかが鍵となる。他の痛みを己の痛みの如く感じる力、他の喜びを共に喜ぶ力、そうした人間力がこれに当たる。
宗教的人格とはそのような感覚を豊かに備えている事が特筆としてあげられる。
この心は人々に生きる場を与え、生きる希望を与える。搾取ではなく奉仕の心を育む。争いより平和を、差別より平等をと心が叫ぶ事でもある。
神の前の平等であれ、仏性の平等であれ、人権としての平等であれ、人間の霊なる叫びの中に真理が現れている。
この同調性こそ人類をここまで繁栄させた精神的基盤である。この心は環境における適応能力を拡大させ、又生存圏を飛躍的に広げた能力である。
現在的課題である環境問題も人種的偏見も国家の利害対立も宗教紛争も、この心以外に解決する糸口はない。
この心を如何に育てるかが今後の人類の行く末を決めてしまう重要なファクターである。