無条件の肯定的メッセージ

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 カウンセリング場面で出会う子ども達は現実生活のなかで傷つき、自分自身を受け入れることが非常に難しくなっています。「自分はだめだ」「自分が嫌いだ」と語る子どもが多いものです。自分を受け入れることができないので苦しんでいる、とも言えます。そういう子どもたちの話をよく聴いていくと、周りの人から与えられているメッセージの多くが、「・・・でなくてはならない」「・・・でないと認めない」という「条件つきのメッセージ」であることに気付きます。「自分を受け入れることができない」という心の状態は、周りが「・・・でないと認めない」という条件つきメッセージをその人に与え続けることによって形成されていくことが多いようです。  
   「勉強ができないとだめ」「仕事ができないとだめ」「”よい”人でないとだめ」etc・・・と周りは要求します。それは社会が存続していくために個々人に与えられるものですし、私たちはその要求に何とか応えることで社会に受け入れられます。条件つきメッセージの多くは社会的な要求から生じるものといえます。決して条件つきのメッセージ自体が悪いわけではありませんし、社会が存続していくためには必要なものとも言えます。

  しかし、最近気になるのは、条件つきメッセージがあまりに強くなりすぎている傾向があることです。近年「勝ち組」「負け組」という言葉が

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社会での認知が進んでいる不登校支援

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 以前は中学校で不登校生が出ると、その生徒に対しての支援としては、担任一人で、週1回程度の家庭訪問、それも顔を見て、「学校に来ないか」と一声かけるぐらいの関わりであったと思います。何をしたらよいのかと悩んだり焦ったりしていた担任は数多くいましたが、支援の方策がわからなかったのです。また、組織としての取組や関係機関との連携もあまり行われていませんでした。

 ところが、ここ数年、学校現場へのスクールカウンセラーやSSW(スクールソーシャルワーカー)の派遣、関係機関との連携、先生方の不登校支援研修による理解などが進み、

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春、植物の営みに想うこと

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 ここしばらく続いた暖かさで、畑のブロッコリーのわき芽が驚くほど大きくなりました。伸びるにまかせていた小松菜はもう黄色い花をつけ、隣の畝のほうれん草はこの23日で茎を天に向かって伸ばし、花を咲かせる準備に入っているようです。自然の営みは本当に不思議です。近頃、ユーモラスな文章に魅かれて「ファーブル植物記」を少しずつ読んでいますが、足こそないけれど植物も生きていて、環境に日々一生懸命呼応しながら、個体として、そして種として変化し続けているのだなあと感じさせられます。

 この季節は、多くの子どもたちにとって変化の節目を迎える時期でもあります。ほどよい土壌や気候条件の中で植物が自ずから変化を遂げていくように、子どもたちも本来、適切な環境に恵まれれば、自ずから発露していく生命の力を、それぞれに内在しているのだと思います。「心の病は薬だけでは治らない。『人薬』が要る」と言っている精神科医がいます。学校や病院など臨床の現場で、たくさんの子供たちや、前に子どもだった人たちに出会います。そんな中で、人は周囲の人たちの一言で、傷つき、あるいは、元気になる、まさに人の間に生きる存在であることを痛感します。風に吹かれて落下した種を受け入れる土のように、厳しい冬の寒さの後におとずれる春の日射しのように、子どもたちの成長を見守る存在になりたいと思います。

2010.2.14(竹下)