LDN通信 平成27年11月号

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思考の極みは普遍を求める事、行動の規範は共同の福祉を実現する事である。
人は差別化の中で己を主張しているがその前提には自我の同一性が必要となる。共に社会を形成している自覚が必要である。
人は孤独である、常に不安である。この世に生まれた時から分離不安を抱えて生きている。
その不安を抑え込みながら生きている、赤ん坊は泣いて己の思いを伝えねばならず伝わらなければ生命の危機すら感じる、そんな存在である。
成人になってもこの不安は常に心に宿り行動を支配する、この故に過度な欲望を起し、嫉妬を抱き、挫折を感じ、愛を希求する。与える事を拒み得る事を望み様々な悩みを抱える。
人の関わりの中では、常に行き違いと誤解が生まれてこの孤独が癒される事はない。
古より賢聖は深い思考の末この孤独と決別を果たした、それは己の生命の根源を求めそれによる癒しを経験した事である。
世界の偉大なる宗教指導者はその事の実現者である。
己の根源にある聖なる大いなる生命、そのものの名は唯一なる神とも法身如来とも呼ばれて来たが、唯一普遍、永遠、無限なる存在である。
それこそ人の存在の癒しに値する、相対を超えた絶対の存在なのである。
人はこの事を自覚しここを拠り所として生活する事が何より好ましい、なぜなら癒しを体験した人格は又人々に多くの癒しを与えるそんな心を得るからである