LDN通信 2017年5月号

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豊穣の大地によき種を播き、よく育て、よき実をつける。
悪を止め、善を行い、人々の安楽を願う。実に徳ある生活に勤しむ人はよき種をまく人である。
如何なる現象もその原因なくして起こることはない。阿頼耶識の大地に撒いた種が萌芽したものである。
良き農夫は土地を整え良き種を選んでそれを撒く、水を与えて収穫の時を待つ。
優れた行者は心を整え行いを律する。果報を望まず、善行に徹する。
世界の現象は個々の行いの結果である。己の行いを改める。そこに世界が変わる鍵がある。
徳ある人の世界は実に平安である。己の行いの是非を問え。
嘆く前に、涙する前に、己の行為の因果をよく見よ。涙に曇った眼では真理は見えない。
落胆の吐息を吐いては前に進めない。
心を禅定に縛って、深く思念せよ。因果必然の道理を。己は何をなすべきか。
今この時をのがしてはその時が来ない。今のこの時がその時である。
己の善なる行為の中に仏は宿る。三宝は現れる。他に求めることはない。
善を行い、善に住まう。ただそれだけの人生、あとは無常である。
狂おしく善を行い、むさぼる如く徳を積む、あとは無我である。
己の行いに誇りを持て、行いの果報は崩れ去ることはない。
善き行いを修している己をたたえよ、私は仏陀の足跡を見つけたと。
古より幾多の行者が歩いた道、幾多の仏が説いた法、そのただなかに居る己の幸せを感じて生きよ。

LDN通信 2017年4月号

印刷用画面
悪業を止め、悪縁を離れ、善業を修め、善縁を求める。これが修道である。
およそ人は己の行いの因果の道理に疎く、悪縁を断たず、悪果の実るときに涙に明け暮れる。
精進せよ。己の心は清らかな思いで充ちているか。己は和言を常としているか。行いは粗暴でないか。
如何なる生き方においても、このことが出来ていれば道の人である。
たとい自ら道の人であると吹聴しようとも、行いがその人を決めるものである。
貴方はそこにおいて道を見出していけばよい、誰の評価を気にすることもない。自得するのみ。
仏の道は隠されているものではない。貴方にすでに備わっている。
意清ければ言葉おのずから柔和、言葉優しきとき身の行いは正しく納まる。
この三業清ければその人は道の人である。
朝清水を汲み仏に奉じて香を薫ずることひとしきり、燈明を点じて、仏を讃嘆する。
何気ない日々の行いはその人をつくる。
悪念を抱かず。人々を傷つけず。誰かの助けとなりたいと願う。
その人はすでに仏の眷属である。
手に鍬を持とうが、ペンを持とうが、貴方に道心があれば道は開く、勇気を持って菩提心を鼓舞して生きていけばよい。
それでしか真実の喜びは生まれない。
己の心は幸せの泉である。この心に安楽を求めよ、他に求めてはならない。
他のもの事はやがて崩れ去る。
心に道理を極めて安心立命せよ。
過去の仏仏祖祖もその道を歩まれた。