副住職が考える仏教の現状(2008年の記事です)

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日本においての仏教寺院と女性の関係は非常に古くてまた今現在の問題なのです。明 治に妻帯が許可になってからも、戦前の寺院では隠し妻のような存在でありました。また表立った行動は制限され、夫は僧侶という出家者で聖職者としてあるた めに平等も同権も保障されることはありませんでした。現在もあまり、変わってはいません。また現在男性も独身であるよりも妻帯して身の回りの世話を頼み、 葬儀や法事を仕事として世法に生きる事を選んでいますが、本来は独身であるべきではないのかと考えています。この様な複雑な家庭環境がありますから、寺院 の多くの子ども達は寺を嫌ったり、もっと自由があるはずだと考え仏法まで否定しようとします。または反対に自分の家は他の家と比べ大きく格式があり立派だ と考え、仏法を学ぶよりも他人を差別することをしようとします。これは母親の教育によるのではなく、時代や歴史の複雑な背景がそれを起こしているのです。 寺院自体は葬式に命脈を保っていますが、寺や住職僧侶の現状を善く思わない人々は葬儀の必要性など無いと判断し、お別れ会としてしまいます。また地方では 過疎化が進み、人は減り続けて寺院自体を存続させて行くことは非常に困難な状況があります。また寺院の法整備も雇用条件も一般から見れば条件が曖昧であ り、人は安心出来ませんから敬遠して誰も来ません。ますます悪循環を起こします。明治以前に行われていた弟子制度のように平等に自分たちを支え学び続ける 経済基盤が根底から崩れてしまっていますから、青年の苦しみに答えて人生の指針を与えることが出来ません。住職も弟子も遠い過去の歴史の権威に自分を置い て寺を維持しようとします。現状については目を塞ぎ思考を停止して生きるしかありません。思考を停止し、文化遺産として存続することに価値を置きすぎる と、現代の課題まで手を出す心の余裕は消えてしまいます。あまりに厚い壁にため息をつき、いい加減にして欲しいと叫んでしまいます。これはその住職が悪い のではありません。もう時代が、寺を残したまま遠くに行ってしまっているのです。
心ある人々がぶつかる最大の難関の核は実は家庭生活と女性の扱いなのです。家庭生 活が無ければ弟子を平等に評価する最低のモラルが残ります。反対に現代の善き家庭を考えれば弟子が育ちません。この様な二律背反する時代では、祈りとは何 かさえ見えなくなって来ます。女人禁制だけが祈りの救いであるごとく考えて主張する多くの男性は、酒を飲んで、話し合いと称します。独身の男性もそうです が、妻帯している男性同士もおなじく仲間意識の方が修行に近いと考え妻帯している家庭より優先します。そして一時の満足を得ることを賛美してしまいます。 他に自己を支える空間を無くしてしまったのです。これは時代と歴史がそうさせてしまうのです。しかし本来修行とは唯一人の心の戦いなのです。ですから根本 的に存在と、修行を自分自身で考えなおす必要があります。また他方女性は差別に関する様々な抵抗をしてみていますが、歴史の壁は厚く仏法の根源に関わる問 題であるためすすみません。尚且つ女性も祈りを平等に負担すれば二倍の負担が来ることが容易に想定できるため、この問題に直面することに逃げ腰です。です から誰もそれをどうして変えたらうまく行くのかを考えることすら、逃げてしまいます。しかし女性が根源的に祈りの方法を問い直し、聖なるものと共に生きる ことを真摯に行わなければ日本の仏教は壊滅的な状況なるのではないかと考えています。また男性は女性に社会的に祈る空間を与え保障しなければ、男性自身の 祈りを自分で破壊してしまっていることに気づくべきだと思います。そして今変革しなければ、地球の未来は無いと考えます。それほど時代は切迫しています。 これは仏教だけではなく、地球におけるすべての宗教の直面する問題だと私は考えています。地球が変わるとき、それは祈りが変わる時だと考えています。祈り の質を変えるのではありません、祈りに対する人々の理解の変革なのです。世界の全ての人々が平和に生きて行く事の出来る方法を日本仏教から実践し、曼荼羅 の精神を日本密教から発信しましょう。世界の平和のために、日本の将来のために、明日のあなたの家庭のために、ともにここで祈りましょう。

副住職のコラム~女性はどう扱われているのか(2008年の記事です)

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仏教というよりも全ての世界宗教が、女性差別をもっています。フランス革命の人権宣言が一筋の光明を与えても、未だ現在もあまり宗教の状況は変わっていないのが現状だと思います。

思考を停止して宗教に触れるか、あるいは差別の権化のような態度をとるか、あるい は全く宗教から離れるかです。ここを解決しない限り聖なるものは滅びてしまいます。祈りは万人に平等に開かれています。自ら考え実行し道を創らなければな りません。母親が嫌えば子供も嫌います。自分が差別されている所へは行きたく無いでしょう。男性だけが祈りを独占すれば、男性同士が祈りの場所の上下をえ るために戦いの場所を作り出すしかありません。政治的な権力闘争と重なりあってしまいます。自分の心の中にこそ、その場所があることが解からなくなりま す。まず必要なのは、家庭でも社会でも、平等に女性に安定した祈りの場所を与えることです。ただし女性には独特の心遣いがあります。その独特なこころ遣い を十分理解して社会にも家庭にも女性の感性が十分許容されていなければ、聖なるものと全く正反対の道を考え創り出し、あくまでそれを正義と考えて、子供た ちに教え、男性よりももっと激しく欲望のために、自分に反対する他の人々を滅ぼすためだけに行動し戦いはじめます。その特徴があるが故に社会的な立場を与 えれば危険だと大勢の男性たちが考え感じたに違いありません。そのため社会的な祈りの場所から女性はしめだされ続け、閉じ込められ、救われるべき人であり 続けなければなりませんでした。それは今も変わっていません。しかしもう時代が叫んでいます。これ以上戦いの歴史が繰り返されてはいけません。女性の元に 真実と祈りと平和があるように、まず女性が自分の特徴をよく知ることが必要です。自分の行いで自分の周囲を変えていく努力をする必要があります。それが幸 福と平和への道筋となります。なぜなら聖なるものと触れ合うことが女性の本来の姿なのですから。子供を生む力を持っているということと、聖なるものに触れ るということは、苦しみとしてだけではなくより一層の喜びとして無限を認識するように変わるのです。

副住職の祈りのうた~尼僧としての人生(2008年の記事です)

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真言寺の副住職として20年以上活動してきました。ちょうど2005年8月9日は 60回目の長崎原爆の日でした。8月9日―この日私は、地からの呻き声の様なものを聞いていました。悲しみと、泣き叫ぶ声は、轟々と救われること無く私の 耳に響いているのを感じました。世界の歴史が歩いて来た道は、まるで抜け道を探しても、探しても見つからない出口のない戦いの連鎖の中にいるようです。
長い間、社会的格差の中で苦しめられ、生きることに疲れてしまった女性たち、そして戦争に巻き込まれた人たち、弱い者たちの悲しみの声は いまだ止まることがありません。その声に私も女性として大変同感し理解できるからです。
真言寺では色々な相談を受けてきました。恋愛、仕事、結婚、出産、育児、教育、病 気など、女性がどのように考えどのように行動すれば幸せになることができるのかという相談でした。また自然の理にかなうことができ、聖なるものとどのよう に触れ合うことができるのかと言う疑問も、祈りながら提示してきました。自己の行いが基本なのです。
 
今までの活動を振り返ると、人生への助言は成功するのですが、次の段階として聖な るものに自己の魂が触れようとする時にうまくいかない人が、多いのです。一歩手前で、そのほんの一歩手前で、次々に起こる欲望の渦の中で、間違って私の言 いたいこととまるで正反対の行動をおこしてしまいます。何故このようなことが起きるのか深く考え、それを乗り越えるために祈りを形に現すことにしました。 それが聖天院のお前立の観音様です。両脇に十二天を配しました。どれほどの事が伝えられるのか、また理解してもらえるのか判りません。
まず現在女性でも出来る修行の道、巡拝の道として祈り開いた塚原古墳公園に隣接す る聖天院は祈るための社会的かつ自由な空間です。この空間は古代に存在し、なおかつずっと、忘れ去られてきたものだと私は考えています。同時に瞑想し、苦 しみから何が問題であるのかを提示して、理解をして具体的にその行いを積んでいく、生きている大生命のその一部である自らを感じ、自己の聖なるものを未来 そして永遠につなげて行くための空間として存在しているのです。
 
 
「祈りの歌」
 
苦しみ 悲しみの 声を 聞け
命は 不動明王の 手の中に 在った
地から 響く
この苦しみの 呻く命の 声を 聞け
君よ
喜びの 声を 聞け
仏陀を 讃える 歓びの声を聞け 君よ
仏陀を 讃える 声をあげよ 君よ
 
歓び解脱は 聖天の供養 
聖天は塔の 中に 眠る
扉には 三昧耶戒の 鍵
 
開け 開け 塔を 開け
 
守れ 守れ 三昧耶戒を
万徳は 円満する
 
これは今まで 祈ってきた道筋を歌ったものです。尼僧として寺の副住職であり,母 として妻としていることとは、現代日本ではなかなか大変です。まず頭を丸めたまま日常生活を行うことは、葛藤を引き起こしてしまいます。また尼僧としての 結婚は戒律をおかしているのではという問題が生じます。これを自他ともに納得いくように解決しなければなりません。そして何が生きる上で大切なのかを考え 教えなければなりません。妻として母として尼僧として常にどの様に生きるべきか、どの様に考えるべきかを問われます。又寺の雑用は非常に多く、相談に来ら れた方の問題の助言の時間を加えれば、寝る時間がほとんど無い日々を送らざるをえませんでした。又住職に対しては僧侶対僧侶の発言をし、平等に祈ることを 条件にしていましたから、祈ることに関しては平等かつ責任をもたなければなりません。加えて仏教には女性差別が色濃く残っており、社会的には、とても重く 大変なことでした。加えてここ熊本は宗教対立に根深いものがあります。古代の古墳と遺跡、神代の伝説、キリシタン弾圧と隠れキリシタンの歴史、封建的な農 業組織、神社の講組織、浄土宗の門徒組織、そして太平洋戦争敗戦の心の痛手はいまだこの地方から消えていません。水俣病に代表される公害は戦後の日本を蝕 んできました。どの様に解決したらよいのか直接目の前に突きつけられてきましたし、自分がこの問題を一つ一つ解決して行くことが、この世界に、この土地や 環境に新しい息吹を吹き込むことになると考え努力してきました。それは今の全世界の問題と繋がっています。そして、それは忘れさられた古い古代の空間とも 繋がっています。理解して行うことが次の時代を作ると考えています。共に祈りましょう。そして共に祈りの新しい空間をつくりましょう。
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