薬師堂医療相談所スタッフ
医療相談所 顧問 村端 宏映
所長 村端 秀映
医療相談員 藤田 紗千
総合管理 村端 光忍
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医師紹介
○村端 秀映
平成16年3月 熊本県立熊本高等学校卒業
平成16年4月 熊本大学医学部入学
平成17年4月 高野山専修学院国内留学
平成18年3月 高野山専修学院卒業 僧籍・僧階取得
平成19年 護摩行 200座達成
平成20年 八千枚護摩一度目成満
平成21年 八千枚護摩二度目成満
平成22年 八千枚護摩三度目成満
平成23年3月 熊本大学医学部卒業
医師国家試験合格
平成23年4月 熊本大学医学部付属病院にて研修医
日本内科学会
平成23年12月 救急医療研修
平成24年4月 熊本地域医療センターにて研修医
日本外科学会
平成25年4月 熊本大学医学部付属病院勤務(消化器外科)
平成26年4月 熊本市民病院勤務(外科)
平成27年4月 熊本大学付属病院勤務(神経内科)
日本神経学会
高野山大学 大学院(通信課程)入学
10月 熊本労災病院勤務(神経内科)
日本脳卒中学会 日本東洋医学会
平成29年9月 高野山大学 大学院文学研究科卒業(密教学修士)
第23回世界神経学会・第58回学術大会にて発表
Trial of "Sanmitsu Yuga "of traditoinal Mikkyo Buddhism
as neurological rehabilitation
10月 日本内科学会認定内科医
国立病院機構熊本再春荘病院勤務(神経内科)
平成30年 4月 熊本労災病院勤務(脳神経内科)
令和 元年 7月 神経内科専門医 (脳神経内科医長)
令和 4年 4月 にしくまもと病院勤務(脳神経内科・内科)
所長 村端 秀映
医療相談員 藤田 紗千
総合管理 村端 光忍
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医師紹介
○村端 秀映
平成16年3月 熊本県立熊本高等学校卒業
平成16年4月 熊本大学医学部入学
平成17年4月 高野山専修学院国内留学
平成18年3月 高野山専修学院卒業 僧籍・僧階取得
平成19年 護摩行 200座達成
平成20年 八千枚護摩一度目成満
平成21年 八千枚護摩二度目成満
平成22年 八千枚護摩三度目成満
平成23年3月 熊本大学医学部卒業
医師国家試験合格
平成23年4月 熊本大学医学部付属病院にて研修医
日本内科学会
平成23年12月 救急医療研修
平成24年4月 熊本地域医療センターにて研修医
日本外科学会
平成25年4月 熊本大学医学部付属病院勤務(消化器外科)
平成26年4月 熊本市民病院勤務(外科)
平成27年4月 熊本大学付属病院勤務(神経内科)
日本神経学会
高野山大学 大学院(通信課程)入学
10月 熊本労災病院勤務(神経内科)
日本脳卒中学会 日本東洋医学会
平成29年9月 高野山大学 大学院文学研究科卒業(密教学修士)
第23回世界神経学会・第58回学術大会にて発表
Trial of "Sanmitsu Yuga "of traditoinal Mikkyo Buddhism
as neurological rehabilitation
10月 日本内科学会認定内科医
国立病院機構熊本再春荘病院勤務(神経内科)
平成30年 4月 熊本労災病院勤務(脳神経内科)
令和 元年 7月 神経内科専門医 (脳神経内科医長)
令和 4年 4月 にしくまもと病院勤務(脳神経内科・内科)
LDN通信 平成27年8月号
物事は様々な条件の元に成立していると共に様々な意味を含んで存在している。人は己の関わり方においてそれを捕え意味を付加して、それを物事の存在意義であると認識する。
己の存在意義においても、それは客観的事実にもとづいて判断していると思っているのだが、実は己の都合上の問題である事が多い。
たとえば嫌いだから悪いことである。好きだから良い事である。と言うような己の感情の折り合いのために正義の旗をたなびかせる事がよくある。
普遍的価値や絶対的意味を求める事はなかなか難しい。己の人格的習性を超えて哲学することは古より多く試みられて幾多の思想を生みだし文化を創造してきた。
人間のこの思考の性向は豊かな世界を創ると共に悲惨な争いを生みだした。
賢哲の関心事は最終的には絶対なるものとの出会いであり、体感であった。
思考において雑多に見える現象を整理して法則を見出し、この法則の背後にある絶対的意志又は精神を感じる。これが人間の思考の高まりであり人の霊性である。
祈りを持つ事は人間であることであり、思考の深まりを喜ぶ事は人の人たる所以である。
豊かな感性と深い思考、清らかな祈りに満ちる事は人としての最大の喜びである。
己の豊かな人格をあじあう人は実に賢明な人生を歩いていると言える。その幹からは常に新しい果実が時とともに実るからである。
己の存在意義においても、それは客観的事実にもとづいて判断していると思っているのだが、実は己の都合上の問題である事が多い。
たとえば嫌いだから悪いことである。好きだから良い事である。と言うような己の感情の折り合いのために正義の旗をたなびかせる事がよくある。
普遍的価値や絶対的意味を求める事はなかなか難しい。己の人格的習性を超えて哲学することは古より多く試みられて幾多の思想を生みだし文化を創造してきた。
人間のこの思考の性向は豊かな世界を創ると共に悲惨な争いを生みだした。
賢哲の関心事は最終的には絶対なるものとの出会いであり、体感であった。
思考において雑多に見える現象を整理して法則を見出し、この法則の背後にある絶対的意志又は精神を感じる。これが人間の思考の高まりであり人の霊性である。
祈りを持つ事は人間であることであり、思考の深まりを喜ぶ事は人の人たる所以である。
豊かな感性と深い思考、清らかな祈りに満ちる事は人としての最大の喜びである。
己の豊かな人格をあじあう人は実に賢明な人生を歩いていると言える。その幹からは常に新しい果実が時とともに実るからである。