LDN通信 2017年4月号

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悪業を止め、悪縁を離れ、善業を修め、善縁を求める。これが修道である。
およそ人は己の行いの因果の道理に疎く、悪縁を断たず、悪果の実るときに涙に明け暮れる。
精進せよ。己の心は清らかな思いで充ちているか。己は和言を常としているか。行いは粗暴でないか。
如何なる生き方においても、このことが出来ていれば道の人である。
たとい自ら道の人であると吹聴しようとも、行いがその人を決めるものである。
貴方はそこにおいて道を見出していけばよい、誰の評価を気にすることもない。自得するのみ。
仏の道は隠されているものではない。貴方にすでに備わっている。
意清ければ言葉おのずから柔和、言葉優しきとき身の行いは正しく納まる。
この三業清ければその人は道の人である。
朝清水を汲み仏に奉じて香を薫ずることひとしきり、燈明を点じて、仏を讃嘆する。
何気ない日々の行いはその人をつくる。
悪念を抱かず。人々を傷つけず。誰かの助けとなりたいと願う。
その人はすでに仏の眷属である。
手に鍬を持とうが、ペンを持とうが、貴方に道心があれば道は開く、勇気を持って菩提心を鼓舞して生きていけばよい。
それでしか真実の喜びは生まれない。
己の心は幸せの泉である。この心に安楽を求めよ、他に求めてはならない。
他のもの事はやがて崩れ去る。
心に道理を極めて安心立命せよ。
過去の仏仏祖祖もその道を歩まれた。