LDN通信 2016年3月号
人間の行動は、過去に於ける経験則に縛られ現在の課題に答えを求められる。実に現在存在する社会制度や文化は過去の観念の幻影である。
今遭遇する新たな問題は今この時の実存のうめきであり、過去の課題ではない。生きていると言う事は現在的問題であり、過去に証明された定理や公理を新たに検証する事でもある。真実の知識は常に新しく又時間的、空間的共時性を備えている事が求められる。過去を語るその人格は常に現在的課題の中でのみ言葉を選び過去を借りて現在を語る。
生存は常に生存のうめきの中にある。常に選択を迫られ、それを拒む事さえ許されない。
確かな選択、確かな知識、これを求めて人は行動する。まるで大海の中で一枚の金貨を探すように、哲学するとはこのことである。誰しもこの事が最も尊いと分かっているが、この事は最も険しく高い山を制覇するクライマーの如く忍耐と努力と勇気を必要とする。
自己を制し、行動を律し、思考を整え、意志を不動のものにして課題に取り組む。
その集中された心は厚い雲間をすり抜けて真理の太陽に到達する。その時に時代は過去から未来へと変わる。過去の呪縛から人が解放される瞬間が訪れる。
その時に現在の答えは過去の答えであり、又未来の答えでもある。このような思考のダイナミックな働きを経験することは人と生まれて最大の喜びである。永遠の今を生きる喜び、古の賢者も語る処の道である
今遭遇する新たな問題は今この時の実存のうめきであり、過去の課題ではない。生きていると言う事は現在的問題であり、過去に証明された定理や公理を新たに検証する事でもある。真実の知識は常に新しく又時間的、空間的共時性を備えている事が求められる。過去を語るその人格は常に現在的課題の中でのみ言葉を選び過去を借りて現在を語る。
生存は常に生存のうめきの中にある。常に選択を迫られ、それを拒む事さえ許されない。
確かな選択、確かな知識、これを求めて人は行動する。まるで大海の中で一枚の金貨を探すように、哲学するとはこのことである。誰しもこの事が最も尊いと分かっているが、この事は最も険しく高い山を制覇するクライマーの如く忍耐と努力と勇気を必要とする。
自己を制し、行動を律し、思考を整え、意志を不動のものにして課題に取り組む。
その集中された心は厚い雲間をすり抜けて真理の太陽に到達する。その時に時代は過去から未来へと変わる。過去の呪縛から人が解放される瞬間が訪れる。
その時に現在の答えは過去の答えであり、又未来の答えでもある。このような思考のダイナミックな働きを経験することは人と生まれて最大の喜びである。永遠の今を生きる喜び、古の賢者も語る処の道である
LDN通信 2016年2月号
汝が衣は汝が想念と語りし言葉よりなる。汝の道はその行いの続く処、出会うもの事は己の影、自他の垣根は己の自我の幻想、独り寝は誰も許さず、共に出る息も吸う息も天地の呼吸、眼を閉じて世界を語るもの多し、耳を塞いで音を奏でる者幾多、恥を覚えず善の生起する処を悟らず。
唯己の煩雑な記憶と乱るる感覚に身を任す。
大海の小舟の如く人生の波にもまれ生を危うくし、恐れ故悲しみ多く、心を閉ざし、故に光を見ず。
生の生たるを死の死たるを悟らず。悔恨と羨望に日々を費やす。幾人かの賢者この世に現
て道理を説き、道を示せども耳に逆らい眼を背ける。
死すべきこの身と破るるこの身を養うに情熱を注ぎ、永遠なるダルマを希求せず、ついに老い行く。悲しむべきは己の無明、朝には夕べを思わず、昼には夜の帳を覚らず。生においては死の在るべきを思わず。若さを誇り老いの来るを見ず。富貴と貧困は紙の両面そこに隔たりはなく無常に繰り返す人の定め。
半畳に草座を設けひたすら座禅修行は仏家の習い、身を慎み言葉を明らかにして、清浄に食を乞い、大悲の故に獅子吼するは菩薩の住する処。
衆生も空、法も空、我も空、清浄にして穢れなきを菩薩は生きる。
法は聞くものも無く説くものを無きをもって法は説かれると菩薩は語る。
念念に善を起して善を忘れて生きる。般若は般若と語らず、自然に生起す、アートマンの影を有さず。
唯己の煩雑な記憶と乱るる感覚に身を任す。
大海の小舟の如く人生の波にもまれ生を危うくし、恐れ故悲しみ多く、心を閉ざし、故に光を見ず。
生の生たるを死の死たるを悟らず。悔恨と羨望に日々を費やす。幾人かの賢者この世に現
て道理を説き、道を示せども耳に逆らい眼を背ける。
死すべきこの身と破るるこの身を養うに情熱を注ぎ、永遠なるダルマを希求せず、ついに老い行く。悲しむべきは己の無明、朝には夕べを思わず、昼には夜の帳を覚らず。生においては死の在るべきを思わず。若さを誇り老いの来るを見ず。富貴と貧困は紙の両面そこに隔たりはなく無常に繰り返す人の定め。
半畳に草座を設けひたすら座禅修行は仏家の習い、身を慎み言葉を明らかにして、清浄に食を乞い、大悲の故に獅子吼するは菩薩の住する処。
衆生も空、法も空、我も空、清浄にして穢れなきを菩薩は生きる。
法は聞くものも無く説くものを無きをもって法は説かれると菩薩は語る。
念念に善を起して善を忘れて生きる。般若は般若と語らず、自然に生起す、アートマンの影を有さず。