LDN通信 2016年7月号
己をよく知る者は己に迷わず。行いの何たるかを悟る者は悪果の報いを避ける。人生の何たるかに思いをはせる人は人の言動に左右されず、ただ真理を希求する。
人の面目は真の人たること、天然たる己に出会うこと、心の喧騒を避けて己を見つめよ。
仏の道は己を悟ることにある。己から発生する様々な欲望に乱舞してはならない、それは陽炎を求めて歩く旅人になることである。その湖は歩めども歩めどもたどり着くことがない夢想である。
心を定めてみよ、己であり続ける。草座に端座して己と対峙す。過去の仏の道であり、未来の弥勒の姿である。深い霧は風のあることで消える。深い闇は光のあることで消える。心の散動は深い呼吸と共に鎮まる。煩悩の影は知恵と共に消え去る。六根の不浄は仏の加持と共に消え去る。
身を正しく保て、心を聖なるものに縛りつけよ、言葉を慎めその言葉が己の考えを支配する。
失うことがないと言うことは又得ると言うことがないと言うこと、そのように思念せよ。
心を止め置け、心に、そのように思念せよ。
己を礼拝せよ己の真仏を、仏の行いを模するとは己が仏性を開拓すること、そのように思念せよ。
ただ深く善を思念せよ、仏の徳を思念せよ。そこに仏の道がある。
深き心に総ては宿る。放った心に安心は生まれる。心の真実が求めるものである。
人の面目は真の人たること、天然たる己に出会うこと、心の喧騒を避けて己を見つめよ。
仏の道は己を悟ることにある。己から発生する様々な欲望に乱舞してはならない、それは陽炎を求めて歩く旅人になることである。その湖は歩めども歩めどもたどり着くことがない夢想である。
心を定めてみよ、己であり続ける。草座に端座して己と対峙す。過去の仏の道であり、未来の弥勒の姿である。深い霧は風のあることで消える。深い闇は光のあることで消える。心の散動は深い呼吸と共に鎮まる。煩悩の影は知恵と共に消え去る。六根の不浄は仏の加持と共に消え去る。
身を正しく保て、心を聖なるものに縛りつけよ、言葉を慎めその言葉が己の考えを支配する。
失うことがないと言うことは又得ると言うことがないと言うこと、そのように思念せよ。
心を止め置け、心に、そのように思念せよ。
己を礼拝せよ己の真仏を、仏の行いを模するとは己が仏性を開拓すること、そのように思念せよ。
ただ深く善を思念せよ、仏の徳を思念せよ。そこに仏の道がある。
深き心に総ては宿る。放った心に安心は生まれる。心の真実が求めるものである。
LDN通信 2016年6月号
観音堂の紫陽花も色を付け始めました。今年も御堂では蛍の柔らかな明かりが心を和ませてくれます。
本堂ではつつじの花が開いて彩を添えています。自然の巡りの豊かさは人の思いをはるかに超えて果てしなく続いています。
思いを今日の生命にいたせば、何もかも不思議に充ちている事柄ばかり。この命の意味も知らず、なぜ生きているのかの答えも定まらず、やがて死すべき命のいずこに去るかも思いに浮かばず。ただこの空気と大地と光の恩恵を受けて命を繋ぎ、友の心を頼りとして、日々を過ごし、幾ばくかの人生の意味を感じて、また感謝の心を起こし、また朝日の眩さと夕日の残光を感じて一日を終える。人の一生の無常はかくも美しく物悲しい。
大いなる自然の命、神とも仏とも呼ばれる、霊なる存在、そのことが唯一の拠り所または救い。祈りある人は実に幸いである。行い清らかなる人は実に幸いである。言葉優しい人は実に幸いである。心静かな人は実に幸いである。施し多き人は実に幸いである。
心に恨みを抱かず、不満を抱かず、怒りを離れ、心を奮い立たせ善を求める。そのような人生は実に幸いである。
人は己の意の赴くところで行いを起こしその果報を味わい生きる。己の意の清らかさは己の救いである。人は己の心を味わって生きる。己の心の豊かさが己の喜びである。
心を乱さず、心を清め、心に喜びをつくる。実にこのこと以外に人は幸せになれない
本堂ではつつじの花が開いて彩を添えています。自然の巡りの豊かさは人の思いをはるかに超えて果てしなく続いています。
思いを今日の生命にいたせば、何もかも不思議に充ちている事柄ばかり。この命の意味も知らず、なぜ生きているのかの答えも定まらず、やがて死すべき命のいずこに去るかも思いに浮かばず。ただこの空気と大地と光の恩恵を受けて命を繋ぎ、友の心を頼りとして、日々を過ごし、幾ばくかの人生の意味を感じて、また感謝の心を起こし、また朝日の眩さと夕日の残光を感じて一日を終える。人の一生の無常はかくも美しく物悲しい。
大いなる自然の命、神とも仏とも呼ばれる、霊なる存在、そのことが唯一の拠り所または救い。祈りある人は実に幸いである。行い清らかなる人は実に幸いである。言葉優しい人は実に幸いである。心静かな人は実に幸いである。施し多き人は実に幸いである。
心に恨みを抱かず、不満を抱かず、怒りを離れ、心を奮い立たせ善を求める。そのような人生は実に幸いである。
人は己の意の赴くところで行いを起こしその果報を味わい生きる。己の意の清らかさは己の救いである。人は己の心を味わって生きる。己の心の豊かさが己の喜びである。
心を乱さず、心を清め、心に喜びをつくる。実にこのこと以外に人は幸せになれない