仏教医療研究会

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仏教医療という言葉を聴いたとき、仏教と医療がどう結びつくのかわからないという人が多いのではないかと思います。

しかしな がら、最近アメリカで注目されているものに他人のことを思いやるという瞑想(慈悲の瞑想)がありますが、この瞑想によって幸福度が高まることが明らかにされつつあります。またマインドフルネス瞑想(気づきの瞑想)も、集中力を高め、ストレスを軽減して仕事の能率が上がるとして米大手企業の研修に取り入れられたことから大きな注目を集めています。これらの瞑想法は、釈迦の瞑想として上座部仏教(テーラバータ仏教)によって今日まで伝えられているものです。

また暖かい気持ちになっている被験者はそうでない人に比べて、被験者への謝礼を他人へ寄付したいという人が、自分で使うという人よりも多くなるという科学的研究結果も出ております。

フロイトに始まる無意識の研究は、大乗仏教で明らかにされた唯識の構造(例えばマナ識やアラヤ識)と密接な関連があることが指摘されております。

その他にも仏教経典には病気や医学の比喩が豊富に書かれており、現代医学に通じる、あるいはまだ解明されていないが現代医学の未来を開くと思われる多くの記述があります。

当研究会は、仏教経典の病気に関連する記述の研究、仏教に由来あるいは深く関連する科学的研究と現代医学との論理的整合性を討論し、現代における治療への応用や、将来を見据えたよりよい医療の開拓、実現を図るとともに、これらの討論をヒントとして創出される斬新な研究の推進を図ることを目的とします。

 → 組織及び会則

 → 代表世話人からのメッセージ

 

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LDN通信 平成27年6月号

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おおよそ人の関心事は、現実として認識される。人の数ほど認識は様々な様相を呈する。それは個々人の人生の意味であり、譲れぬ価値だったりする。ここで問題なのは、それは真実にもとずく意味や価値ではなくとも既に存在する歴然とした存在意義なのである。
現実と言う世界は実に矛盾と葛藤に満ちている。生と死の狭間、得ることと失う事の狭間、愛と憎しみの狭間、これらの狭間で人は終わらぬ夜を過ごす。
どうしても人は己の意とする意味を人生に求め、あるいは求めさせられ、真実からは遠ざかる。
人は様々な脚本を描いて、それを演じる。現実と語る自分の脚本を演じ続ける。真実は行いの因果性であっても、人は己の欲求の実現に意味を見出す。生きると言う事は、様々な葛藤を背負い込むことであり、燃え盛る不満の炎の中で身を焼く事である。
そこから恨み、悲しみ、嫉妬や羨望等が渦巻きだすのである。
一度己の脚本を自我に引き出し、分析して、再評価を与え、修正して、統合していく必要がある。
己の人格に眠る、行動の動機、存在の動機は意識されないまま運命を構成し続ける。
賢く生きるには、この事をよく自覚して己を観察してパターンを見出す事である。
そこから真実にもとずく世界観や人生観の構築が容易になる。